企画展「小泉八雲」 『骨董』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回も企画展「小泉八雲」をご紹介します。
9編の再話と11編の随筆からなる『骨董』は、1902年に出版されました。
今回はこの本に収録された「草ひばり」を紹介します。
「草ひばり」は、八雲が飼っていた草ひばりという虫を巡る随筆です。
晩年に書かれた随筆の傑作のひとつとも言われ、
八雲の死生観や人生観が感じ取れる作品です。
草ひばり(草雲雀)はコオロギの一種で、夏に見られる虫です。
雄は高く美しい声で鳴き、「ひばり」の名が付く通り、その鳴き声は鳥のひばりにも例えられます。
この草ひばりの声を、八雲は作中でこのように述べています。
「ところが、このかあいらしい歌は、じつは恋の歌なのである。
まだ見もやらず知りもせぬものを恋い慕う、そこはかとない恋の歌なのだ。」
(小泉八雲『怪談・骨董他』平井呈一訳、恒文社、1993年第二版、pp.156-157)
八雲はこの草ひばりの雌を求める鳴き声を毎晩聞いてるうちに
気がとがめられている気がするようになり、
終いには良心の呵責に苛まれるようになってしまいました。
草ひばりに雌をあてがうと鳴かなくなるという言い伝えがありましたが、八雲は雌を買いに行きます。しかし、その時はもう10月になり、草ひばりはみんな死んでしまったはずだと
虫売りに笑われてしまいました。
その翌月、草ひばりは死んでしまいました。
女中が不注意で餌を与え忘れてしまったのです。
この時、草ひばりを日々見つめ、その草ひばりの声からその願望について考え続けたことにより
愛着の念が生まれてることに八雲は気づきます。
「その、たかがちいぽけな生きものが、ふっと消えてなくなってしまったということが、
まさかこんなにまでと思うほど、わたくしの心を痛めるのである。」
(同書、p.160)
つい最近まで草ひばりの歌が響いていた書斎に一人佇み、
八雲はその小さな魂に自らの魂を重ね合わせたのでした。
「草ひばり」の挿絵。骨董の挿絵は朱色のインクで刷られました。
(部分)右上には草ひばりの姿が。
今年の冬は、賑やかなことをするのが難しくなってしまいました。
しかし、こうした時にこそゆったりと構えて、
八雲の静謐な作品に触れてみるのもいいかもしれません。
展示風景
左の展示ケース左の本が『骨董』
(明星ギャラリー・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展「小泉八雲」については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※展示品はページ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介しているページと
異なるページを展示している場合があります。
企画展「小泉八雲」 『心』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
企画展「小泉八雲」をご紹介します。
神戸時代の1896年に出版された『心』は八雲の代表作の一つと言われています。
序文によると、日本人の内面、無名の人びとの
「精神・勇気・決意・感情・愛情」
(小泉八雲『東の国から・心』平井呈一訳、恒文社、1986年第二版、p.355)を
描こうと試みた作品だと書かれています。
冒頭に収録されている「停車場にて」は、
現在の上熊本駅で当時実際に起こった事件をもとに書かれ、
日本人の機微を描いた情緒的な作品と評されています。
この作品は、殺人事件の犯人がその子供に泣きながら詫び、
その様子を見ていた人びとや犯人を連行する警察官までもが涙を浮かべる、
その様子を語り手である「私」が目撃した、という話です。
八雲は実際にこうした場面に遭遇したわけではありませんが、
「私」という外国人の異国での出来事として描くことにより、
日本のことを知らない海外の読者をも惹きつける作品となったのです。
『心』標題には五高教授佐久間信恭の
知人の子供の顔が掲載されています。
八雲はこの男の子の顔を「純粋の日本人の顔」だと
考えていました。
また、日本文化論として、
友人である雨森信成をモデルにした「ある保守主義者」や、
日本人の神道や仏教に基づいた道徳心を論じた
「日本文化の真髄」などが収録されています。
「一艦だも失うおとなく、一線にだも敗(やぶ)るることなく、
日本は、中国の勢力を打ちくじいて、あらたに朝鮮をおこし、
領土をひろげて、ここに東洋の全政局面を一変させた。
政策の上から見て、これは瞠目すべきことと思われるが、
さらに心理的に見ると、なおいっそう瞠目すべきことである。」
(小泉八雲「日本文化の真髄」、同書p.363)
この本が出版される前、1894年から95年にかけて、日清戦争が起こりました。日本は、「眠れる獅子」と称された清国を倒し、西洋列島を震撼させました。八雲は、こうした日本に驚きつつ、一方で脱亜入欧を果たそうとする日本を批判します。
さて、この年は公私ともに、八雲にとって大きな転機を迎えた年でした。
この本が出版される前月には八雲が帰化手続きを終えており、「小泉八雲」を名乗るようになります。その半年後には帝国大学(現在の東京大学)に講師として赴任、東京の新宿区に居を定めます。
慌ただしい世の中ではありますが、八雲の作品を通じて、日本人の「心」を見つめなおしてみるのも面白いかもしれません。
(明星ギャラリー・H)
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再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
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時期により、本ブログにて紹介しているページと
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企画展「小泉八雲」 『東の国から』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回も企画展「小泉八雲」をご紹介します。
『東の国から』は来日目2作目となる本です。
松江の次に移住した九州の熊本での見聞や随筆などがまとめられています。
しかし、前作の『知られぬ日本の面影』とは異なり、
紀行の部分よりも再話や随想の部分が多く占めています。
『東の国から』(1895年)
八雲は、日本研究家で東京帝国大学で教鞭を取っていたチェンバレンからの紹介で
熊本に赴任しました。
赴任先は本人の希望で熊本を指定したわけではありませんが、
松江よりも冬は暖かいこと、そして教師としての年俸もアップすることから
八雲自身も期待はあったのかもしれません。
古き良き日本がまだ色濃く残っていた松江と異なり、
西南戦争以降近代化された熊本の都市、
そしていわゆる「九州かたぎ」、質実剛健な気質の人びとを目の当たりにし、
八雲は戸惑いを覚えます。
「いったい、九州という土地は、こんにちでも、いまだに昔ながらに、
日本の国のうちでも一番保守的な地域になっている。
わけても、そこの重要都市である熊本は、
保守的精神の中心地になっている観がある。」
(小泉八雲『東の国から・心』平井呈一訳、恒文社、1990年第二版、p.35)
教鞭を取っていた熊本の第五高等学校(熊本大学の前身校)の学生たちに対しては、
作中でこのように述べています。
「まあ、早くいえば、東洋流の意味でいう豪傑肌、
そんな意味あいのところが、かれらには多分ある。
(中略)このついぞニコリとも笑ったことのない、
泰然自若、どこ吹く風といったかれらの平静さの下には、
いったいどんな感情、どんな情操、どんな理想が
かくされているのだろうと思って、
わたくしはずいぶん長いこと、ふしぎに思っていたのであるが、
けっきょくそれは、とうとうわからずじまいであった」
(同書、pp.38-39)
松江の学生とは、お互いの家を訪問するなど親密な関係を築けましたが、
熊本では「ああした師弟のあいだの、こまやかな愛情あふれた親密な間柄などは、
ここでは、薬にしたくも見られないのである。」(同書、p.39)
と、先生と学生の形式的な関係であるという印象を受けたようです。
しかし、このことは日本を理想郷として賞賛するのではなく、
ありのままの日本と日本人の姿を見つめることにつながりました。
結果として、後の著作にて様ざまな主題に向かっていったのです。
『東の国から』扉ページ
作者名の下には「西と東が離れているほど遠く―」と
書かれています。
(訳は同書、扉ページより)
尚、九州では熊本にある八雲旧居をはじめ、
八雲が訪れ作品に描いた場所や建物が今でも残されています。
八雲作品を読みながら、九州各地の八雲ゆかりの地をチェックしてみるのも
面白いかもしれません。
展示室内風景。
『東の国から』の近くには八雲ゆかりの地のパネルや
年表を展示しています。
展示ケース上のろくろ首のイラストにもご注目ください。
(明星ギャラリー・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展「小泉八雲」については、
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企画展「小泉八雲」 『知られぬ日本の面影』の話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
企画展「小泉八雲」の展示資料をご紹介します。
『知られぬ日本の面影』(1894年)は、八雲が来日後最初に出版した本です。
9月29日の今日、出版されました。
表紙は竹と雪輪の文様が組み合わさっています。
内容は、来日後から松江時代に見聞きしたことが書かれています。
日本に訪れた際の、いわば第一印象です。
横浜にて人力車で寺や神社を巡ったこと、
西欧人で初めて出雲大社の昇殿を許されたこと、
松江での教師としての仕事と日本の教育や学校のこと、
教育勅語が下賜され学校で知事が奉読したこと、日本人の微笑について、
松江を去った時のことなどなど。
八雲が来日したころの日本は、富国強兵や殖産興業が推進され、
西洋化が急速に進んだ時期でもあります。
さらに、この本が出版された1894年は日清戦争が起こり、
日本は帝国主義国家として欧米諸国と肩を並べるようになります。
八雲は、当時失われつつあった「古き良き日本」を日本の真髄だと考え、
日本の風景や日本人の精神性を書きとめようとしました。
この本は英語で書かれ、欧米で出版されました。
当時、日本の文化を紹介した本はいくつかありましたが、
日本の本質にまで迫ったこの本には
当時の読者も大変驚いたことでしょう。
展示室内にある『知られぬ日本の面影』の行燈。
「簡素な娯しみを楽しむ能力のあることを忘れたこと、
人生の純粋な喜びに対する感性を失ったこと、
昔ながらの自然との美しい神のような親しみを忘れたこと、
それを反映している今は滅びた素晴らしい芸術をわすれたこと、
-この忘却をいつかは哀惜する日がくるであろう。」
(小泉八雲『日本瞥見記(下)』平井呈一訳、恒文社、
1996年第二版、pp.431-432)
近代化が進む中で失われていったものを悔やむ時がくる、
というのは、決して当時だけの話ではなく、
現代においても当てはまりますね。
世の中が急激に変化しつつある今日こそ、
本作を通じて、八雲が捉えた「日本」に
触れてみるべきなのかもしれません。
(明星ギャラリー・H)
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企画展「小泉八雲」『日本―一つの解明』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今日9月26日は、八雲の没日であり、企画展「小泉八雲」の本来予定していた開催期間の最終日でした。
今回は、八雲の死後に出版され、事実上遺作となった本をご紹介します。
『日本-一つの解明』(1904年)表題ページ
八雲の日本研究の集大成とも言うべき本です。
もともと、エリザベス・ビスランドの依頼でアメリカのコーネル大学の連続講義用に用意した草稿でしたが、
中止となったため一冊の本にして出版することになりました。
執筆は相当大変だったようで、妻のセツさんの著作『思い出の記』によると、
「こんなに早く、こんなに大きな書物を書くことは容易ではありません。
手伝う人もなしに、これだけのことをするのは、自分ながら恐ろしいことです。」
と言っていたそうです。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲:思い出の記、父「八雲」を憶う、恒文社、1995年第二版、p.24)
「上代における家族制度、氏族のあり方、諸階級が分離・派生して行った経路、
宗教上の戒律から政治上の律令がわかれてきたすじみち、諸種の禁令の歴史、
その禁令が風俗・習慣に及ぼした影響のあと、産業発達における基準、
組合の歴史、それから、倫理と美学の歴史。
―まだそのほかたくさんのことがらが、
まったくあいまい不明のままになっている現状である。」
(小泉八雲『日本―一つの試論』平井呈一訳、恒文社、1991年第二版、p.4)
八雲は、こうした日本の曖昧で不明だった問題を、
日本人とは異なる価値観や宗教観を持つ西洋人読者に
同情的に伝えることに注意を払いながら執筆しました。
カラーの口絵
またこの本は、後の太平洋戦争時にマッカーサーの秘書であるボナー・フェラーズが
日本人の心理を理解するために参照したと言われています。
彼は日本の戦後処理にあたり、象徴天皇制実現を目指した人物です。
この本が世に出ていなければ、
戦後の日本はまた違う道を辿っていたかもしれません。
扉、中扉には「神國」の文字が。
そのため、『日本』とは別に『神國』とも呼ばれることもあります。
さて、冒頭でも述べましたが本日は八雲の没日になります。
死ぬ少し前から時折発作が起こるようになりました。
亡くなる数日前には、庭の桜が返り咲き、飼っていた松虫が死にます。
亡くなる日の朝、珍しい世界へ旅した夢を見たと妻のセツさんに告げ、
学校へ行く長男の一雄さんに
「プレザント、ドリーム(pleasant dreams, 就寝前のあいさつ)」と
言って送り出したそうです。
八雲終焉の地旧居跡碑(筆者撮影)
八雲の葬儀は生前よく訪れていた円融寺(瘤寺)で仏式で行われ、
生前よく訪れていた雑司が谷(雑司ヶ谷霊園)に埋葬されました。
雑司ヶ谷霊園の八雲の墓(筆者撮影、中央が八雲の墓)
今尚人びとに読まれ続けている八雲の本や、研究されている八雲自身のこと、
今でも訪れることができる縁の地、それらに触れるきっかけとなれば幸いです。
(明星ギャラリー・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
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時期により、本ブログにて紹介しているページと
異なるページを展示している場合があります。
焼津小泉八雲記念館のご紹介
こんにちは。
明星大学図書館のUです。
今回も小泉八雲展を開催するにあたり、多くの資料のご提供をいただくなど、多大なご協力をいただきました静岡県焼津市にある焼津小泉八雲記念館をご紹介します。
焼津小泉八雲記念館外観
焼津小泉八雲記念館は、明治の文豪である小泉八雲を顕彰し、八雲が愛してやまなかった焼津における足跡や地域の人々との交流、また様々な創作活動などを広く伝えるため2007年6月に開館しました。島根県松江市の小泉八雲記念館の館長である小泉凡氏(小泉八雲の曾孫)が、同館の名誉館長を務められています。
水泳が得意であった八雲は夏休みを海で過ごそうと家族を伴って海岸を探していたところ、深く荒い焼津の海を気に入り、初めて訪れた1897年(明治30年)以降亡くなる1904年までほとんどの夏を焼津で過ごしていました。
また、焼津を頻繁に訪れたのは焼津の海を気に入ったためだけではなく、夏の間滞在していた家の主人・山口乙吉との出会いがあったことも大きな理由でした。
山口乙吉
魚屋を営む山口乙吉を八雲は「神様のような人」と慕い、以後六度の夏を焼津で過ごしています。
焼津での体験は「焼津にて」や「海のほとり」、「乙吉のだるま」などに描かれており、その中でも「乙吉のだるま」では、八雲と乙吉の心温まる交流が描かれています。
波乱、そして流転の日々を過ごしてきた八雲にとって、焼津は心を穏やかにさせる地であったのかもしれませんね。
焼津小泉八雲記念館では2020年8月28日(金)より新たな
常設企画展「小泉八雲、妖怪へのまなざし」
を開催しています。
現在、全国的に新型コロナウィルス感染拡大のため観光自体が自粛傾向にはありますが、終息後には前回ご紹介しました島根県松江市の小泉八雲記念館だけではなく、同館も訪れてみてはいかがでしょうか。
開館日等の詳細については、下記URLを参照の上、直接、焼津小泉八雲記念館にお問い合わせください。
焼津小泉八雲記念館
http://www.city.yaizu.lg.jp/yaizu-yakumo/
※今回、掲載した画像は全て焼津小泉八雲記念館よりご提供いただきました。
企画展「小泉八雲」 『仏領西インド諸島の二年間』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
企画展「小泉八雲」の展示資料をご紹介します。
『仏領西インド諸島の二年間』(1890年)は、
八雲が37歳の頃に二度滞在したマルティニーク島や西インド諸島を巡った記録です。
絡み合う植物の模様が印象的な表紙です。
展示の様子です。(左から二冊目)
八雲は、1887年にマルティニーク島をはじめとする西インド諸島を訪れ、
「熱帯への真夏の旅」という紀行文を執筆しました。
その原稿を出版社に売ったお金で再度マルティニーク島に訪れます。
さらに、二回目の滞在の際にはフランス製のカメラを購入し、
島の風景や島に住む人びとを撮影したりしました。
1890年、「熱帯への真夏の旅」と二度目の滞在の際に執筆した
「マルティニーク・スケッチ」(マルティニーク小品集とも)を収録した
『仏領西インド諸島の二年間』が出版されました。
アメリカで新聞記者をしていた八雲が書いたこの本は、
熱帯の自然やそこに住むクレオールと呼ばれる
植民地で生まれ育ったヨーロッパの人びとの暮らしぶりが書かれています。
口絵にはクレオールの女性の写真が掲載されています。
エキゾチックな魅力がありますね。
カリブ海地域に面した英領ギアナ(ガイアナ)の首都ジョージタウンの
デメララという通りの挿絵です。
「デメララのわたしの記憶は、いつもこの強烈な日ざしの記憶になるだろう。
その光輝たるや、電気の炎という考えがおこるほど、
何ともいえない目の眩むような力をもっている。
-水平線などは、まるで静止している一面の電光みたいで、
目の前が真っ暗になってしまうし、空のてっぺんなどは見上げることもできない。」
(小泉八雲『仏領西インドの二年間上』平井呈一訳、恒文社、
1992年第二版三刷、p.91)
想像するだけで目が眩みそうな、熱帯の日差しの描写です。
本を通じて、八雲の旅を想像してみるのも面白いかもしれません。
(明星ギャラリー・H)
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再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※展示品はページ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介しているページと
異なるページを展示している場合があります。
企画展「小泉八雲」『ゴンボ・ゼーブ』のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回は企画展「小泉八雲」の展示資料をご紹介します。
今回ご紹介するのは『ゴンボ・ゼーブ』(1885年)という本です。
この本は、植民地で生まれ育ったヨーロッパ人であるクレオールの人びとのことわざ集です。
タイトルはクレオールの料理「ガンボスープ」に由来します。
この本は、八雲が初めて日本の文化に触れた、
ニューオーリンズ万国産業綿花百年記念博覧会(1884年)に合わせて執筆されました。
(しかし、出版は博覧会会期中には間に合いませんでした)
右から2番目が『ゴンボ・ゼーブ』
「鳥の肌は風の吹いているときしか見えぬ。―本性は逆境にあって初めて現れる。」
「螢は自分の冥福を祈って灯を点す。-人みな己が大切なるをいう。」
「嘘は悪口ほどに悪いことではない。-嘘をつくことは中傷ほど不道徳なことではない。」
(『ラフカディオ・ハーン著作集第十四巻』
斎藤正二・原一郎・内藤史朗・池野誠・藤本周一・山下宏一訳、
恒文社、1983年、p.34,61)
現代の我われにも当てはまるようなことわざも。少しどきりとしてしまいますね。
当時アメリカにいた八雲は雑誌の編集や新聞記者として活躍しており、
自身の記事の中でクレオールの文化を紹介していました。
後に、八雲は自身のクレオール研究を深めるため、
仏領西インド諸島に旅立ちます。
『仏領西インド諸島の二年間』(1890年)口絵
クレオールの女性の写真
八雲は、クレオールの人びとの文化のように、
様ざまなものが交じり合った文化に関心をもっていました。
ヨーロッパ圏の文化とは異なる文化への関心は
後の日本の文化への探求へと繋がっていきます。
八雲の、異国文化への探求が感じ取れる一冊です。
再開の際には是非ご覧ください。
(明星ギャラリー・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
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異なるページを展示している場合があります。
小泉八雲記念館のご紹介
こんにちは。
明星大学図書館のUです。
今回は小泉八雲展を開催するにあたって
多くの資料のご提供をいただくなど、多大なご協力をいただきました
「小泉八雲記念館」をご紹介いたします。
小泉八雲記念館外観
小泉八雲記念館は島根県松江市に1934年に開館し、今年で開館86年目を迎えました。(現在の建物は2016年にリニューアルオープンしました)
同館では小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)という多面的な作家の情報を、遺愛品展示や解説を通して紹介しています。
小泉八雲記念館館内展示
八雲と松江に縁ができたのは1890年、彼が英語教師として松江にある
島根県尋常中学校、師範学校に赴任したことに始まります。
文明開化が進んでいた当時の日本にあって、松江はまだ古い建物や風俗が残る土地であり、人情も厚い町でした。またこのころ、この松江の地で後に妻となるセツと出会います。
(ちなみに8月は八雲が松江に赴任した月です)
小泉八雲記念館では2020年6月27日より2021年6月6日までの約1年間、
企画展「小泉八雲、妖怪へのまなざし」
を開催しています。
現在、全国的に新型コロナウィルス感染拡大のため観光自体が自粛傾向にはありますが、終息後には同館を訪れてみてはいかがでしょうか。
現在開催中の企画展「小泉八雲、妖怪へのまなざし」
なお、小泉八雲記念館のお隣には、セツと生活を共にした
旧居があり、現在は国指定の史跡となっています。
こちらもぜひ、訪れてみてください。
小泉八雲旧居外観
開館日等の詳細については、下記URLを参照の上、
直接、小泉八雲記念館にお問い合わせください。
小泉八雲記念館
https://www.hearn-museum-matsue.jp/
※今回、掲載した画像は全て小泉八雲記念館よりご提供いただきました。
小泉八雲展 関連図書のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回は小泉八雲関連図書をご紹介します。
八雲展会場外に企画展関連書コーナーがあります。
普段であればご自由にご覧いただけるのですが、
展覧会休止に伴い、こちらのコーナーもお休みとなってしまいました。
※現在休止中の企画展関連書コーナー。
今回は企画展関連書コーナーでご紹介する予定だった本の中から、
いくつかご紹介したいと思います。
各資料の黒太字部分をクリックすると、
図書館所蔵情報の詳細をご覧いただけます。
小泉八雲、開かれた精神(オープン・マインド)の航跡。―小泉八雲記念館図録
出版社名:山陰中央新報社
著者名:小泉凡(監修)小泉八雲記念館(編)
発行年:2018年11月
配架場所:28号館(B1F);一般書架、(1階)展示スペース
請求番号:930.268||H51
松江の小泉八雲記念館が発行している図録です。
「開かれた精神(オープンマインド)」をキーワードに、
豊富な写真資料と共に八雲の生涯と作品について紹介しています。
小泉八雲記念館館長の小泉凡さんは八雲の曾孫にあたります。
ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉 小泉八雲―日本を見つめる西洋の眼差し
出版社名: 筑摩書房
著者名:筑摩書房編集部
発行年:2015年12月
配架場所:28号館(1F);一般書架
請求番号:289||C44
八雲の評伝の中でも、コンパクトにまとまっていて読みやすい一冊です。
初めて八雲に触れる方におすすめです。
日本の童話名作選 雪女
出版社:偕成社
著者名:小泉八雲、平井呈一(訳)、伊勢英子(絵)
発行年:2000年2月
配架場所:28号館(B1F);一般書架
請求番号:913.8||Ko38
冷たくも美しい絵が印象的な「雪女」です。
絵本ですが、大学生や大人の方でもお楽しみいただける一冊です。
ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本 (復刻版)
出版社名:CCCメディアハウス
著者名:ラフカディオ・ハーン、河島弘美(監修)、鈴木あかね(訳)
発行年:2017年3月
配架場所:28号館(B1F);一般書架、(1階展示スペース)
請求番号:596.23||H51
来日前にアメリカで記者をしていた八雲が執筆した、
クレオール(植民地で生まれ育ったヨーロッパの人々のこと)の料理本です。
八雲がクレオールの人びとに丹念に聞き取り調査をしたことが窺えます。
八雲の関連図書は他にもたくさん出版されています。
夏の読書にいかがでしょうか?
(明星ギャラリー学芸員H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※書籍の掲載には紀伊国屋書店様のご協力を得ています。
小泉八雲展 ほどくぼ小僧のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回も小泉八雲展をご紹介します。
展覧会のタイトルにもなってる「ほどくぼ小僧」。
ほどくぼ(程久保)は、明星大学のある地域の名前ですね。
モノレールの駅名にもなっています。
さて、この「ほどくぼ小僧」、江戸時代に実在したとされる人物のあだ名でした。
なんでもその人物、実は前世の記憶があるという噂がありました。
1815年(文永12年)中野村(現在の八王子市東中野)の勝五郎は、
8歳になったある日、自分の前世を語ります。
自分は程久保村で生まれ、藤蔵という名だった、と。
さらに藤蔵は6歳の時に疱瘡(ほうそう)に罹って死んだ、
家族の名前、死後の世界のことなど…。
その後、祖母と程久保村に訪れた勝五郎は
家や村の様子など藤蔵でしか知りえないことを語ります。
いつしか、人びとは彼のことをほどくぼ小僧と呼ぶようになりました。
この話は江戸でも評判となり、文人大名の池田冠山や国学者の平田篤胤、
多門(おかど)伝八郎が聞き取り調査を行いました。
多門は途中で泣き出してしまう勝五郎に菓子で機嫌を取ったり外に連れ出したり、
平田は弟子の寅吉(幼少期に天狗攫いにあったとされる人物)を同行させ
彼の語るお話で警戒心を解こうとしたりとなかなか大変だったようです。
八雲はそれらの調査の記録をさらに転写した『珍説集記』※を参照し、
「勝五郎の転生」にまとめました。
※八雲が使用した『珍説集記』は、明治天皇の側近として活躍した佐佐木高行の蔵書でした。
この作品は『仏の畑の落穂』(1897(明治30)年出版)という
随筆集に収録され、アメリカ、イギリスで出版されました。
タイトルはブッダが生きて存在している場所を意味しています。
仏教思想への関心が強く表出した作品を集めた本です。
縁の地は今でも残されています。
勝五郎が祖母と歩いた程久保村への旧道の一部は
明星大学のお隣の中央大学八王子キャンパス内に残されています。
藤蔵の墓は日野市の高幡不動尊に、勝五郎の墓は八王子市の永林寺
にあります。
夏休みといってもなかなか遠出が難しい今日この頃、
身の回りの古い伝承や民俗を調べてみるのも面白いかもしれません。
(明星ギャラリー・H)
本記事執筆にあたり、下記資料を参照しました。
北村澄江「『勝五郎再生期』-日野市に伝わる不思議な話-」、『多摩のあゆみ』108号、
たましん歴史・美術館歴史資料室編、財団法人たましん地域文化財団、2002年)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※『仏の畑の落穂』はページ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介しているページと
異なるページを展示している場合があります。
小泉八雲展 「雪おんな」と青梅のお話
こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。
今回も小泉八雲展をご紹介します。
小泉八雲の代表作といえば『怪談』。
この本には、雪おんな、むじな、ろくろ首、耳無し芳一などのお話と
エッセイが収録されています。
これらの作品は、日本各地に伝わる民話や伝承などを語りなおした
再話という手法で書かれています。
展覧会のタイトルにもなってる「雪おんな」。
(『怪談』「雪おんな」表題より)
かつて雪の日に遭遇した雪おんなが、
実は自分の妻だった、という有名なお話です。
(ギャラリー内の『怪談』口絵パネルより、右は拡大)
雪おんなの伝承は日本各地にあり、様ざまな文芸の題材となっていますが、
八雲の「雪おんな」は、実は東京の青梅市が舞台となっているのです。
八雲の家に奉公に来ていた親子から聞いた話をもとに「雪おんな」を執筆しました。
この親子の出身は東京府多摩郡調布村(現在の青梅市南部多摩川沿い)だったのです。
青梅市にある「雪おんな縁の地」の碑。八雲の肖像と言葉が裏側にあります。
現在では、青梅市の調布橋のたもと(千ヶ瀬の渡し)には
「雪おんな縁の地」の碑が建てられています。
この近くには明星大学青梅校があります。
意外にも、明星大学と雪おんなとご近所さんなのです。
今回は、「雪おんな」と青梅のお話でした。
(明星ギャラリー学芸員・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※『怪談』はページ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介している原稿と異なるページを展示している場合が
あります。
小泉八雲展 「天の河縁起」直筆原稿のお話
明星ギャラリー学芸員のHです。
7月といえば、七夕。皆様はどんなお願い事をしますか?
さて、今回も小泉八雲展のご紹介です。
実は明星大学には彼の直筆資料があります。
可愛らしい丸っこい字で書かれた直筆資料には、「the festival of Tanabata」
という言葉が見て取れます。
さて、この資料、今回の小泉八雲展を開催するにあたり改めて調べたところ、
八雲の死後に出版された、天の河や七夕にまつわる伝承や詩歌について述べた
「天の河縁起」という論文の原稿のうちの1枚であることが分かりました。
上の原稿では、日本で初めて七夕祭りが行われたのは天平勝宝の時代(755年)
であることなどが書かれています。
もう一点、「天の河縁起」の直筆原稿をご紹介します。
(写真右)エリザベス・ビズランド『ラフカディオ・ハーン人生と手紙』
(写真左)小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)『天の河縁起』
写真右の本にご注目ください。
この本は八雲の友人のエリザベス・ビズランドが著した八雲の伝記です。
八雲研究において重要な資料の一つなのですが、実はこれ…
八雲の「天の河縁起」の直筆原稿が付いています。
原稿の拡大です。本文のページよりも一周り小さい原稿1枚が
ページの間に綴じ込まれています。
こちらは牽牛(彦星)などの記述がみられます。
この本は初版限定200部が八雲の原稿付きで販売されました。
明星大学で持っている本は、八雲の原稿が付いている、
いわば出版された時そのもの。
当時、こういった直筆の原稿を付録として付けるというのは
往々にして行われていたのですが、切り取られてしまうことも多くありました。
今年の七夕は、八雲の著作から七夕や星々に
思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
(明星ギャラリー・H)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。
※「天の河縁起」原稿は展示入れ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介している原稿と異なる原稿を展示している場合が
あります。
企画展「小泉八雲」のご案内(資料図書館2階明星ギャラリー)
明星ギャラリー学芸員のHです。
『明星大学貴重書コレクション展 小泉八雲
日野の「ほどくぼ小僧」と青梅の「雪おんな」』
(資料図書館2階明星ギャラリー)をご紹介します。
明星大学には古く、希少性の高い本をたくさん所蔵しているのをご存じですか?
これらの本は「貴重書」と呼ばれています。
明星大学が所蔵する貴重書を、明星ギャラリーにて年1~2回企画展という形で公開しています。
今回は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に焦点を当てた展覧会です。
(※現在休止中です。再開時期につきましては図書館オリジナルサイトにて告知いたします。)
資料図書館2階、着物を着た八雲の大きな看板が目印です。
八雲はもともとギリシャの出身ですが、明治期の日本に来日し、
日本の伝承や民話を再話したり、日本人の精神性を追求する本を英語で執筆し、
西洋に伝えました。
本展では、八雲の作品のうち、明星大学のキャンパスがある「日野」「青梅」を
舞台とした作品を取り上げつつ、八雲の生涯をご紹介します。
代表作『怪談』に収められている「雪おんな」は東京の青梅市が舞台です。
青梅駅から明星大学の青梅校の間にある調布橋のたもとで、主人公は雪おんなに遭遇しました。
明星大学日野校がある日野市程久保を舞台とした「勝五郎の転生」(『仏の畑の落穂』収録)。
生まれ変わりの記憶を持つ勝五郎にまつわるお話です。
そんな不思議な彼のことを、人々はいつしか「ほどくぼ小僧」と呼ぶようになりました。
壁にろくろ首が!八雲は日本の怪談や妖怪にも興味を持ちました。
実はこの絵、八雲のスケッチなんです。他にも探してみてくださいね。
来日後に出版された日本の紀行文です。(『知られぬ日本の面影』)
雪輪と竹の表紙にもご注目下さい!
来日前はアメリカで新聞記者、編集者として活躍していました。
アメリカ時代に出版された本も展示します。
今回は貴重な直筆資料も!
異母妹ミンニーに宛てたプライベートなお手紙です。
幼少期に母親と離れ離れになった八雲は、
生涯会うことができなかったミンニーに憧れを募らせます。
天の河と七夕に関する論考です。(『天の河縁起』)
右の本には『天の河縁起』の直筆原稿が付属しています。
展示室内外にはフォトスポットもございます。記念に1枚いかがですか?
八雲が松江で暮らしていた邸宅(旧居)です。
八雲の晩年暮らしていた新宿の家の居間です。室内の調度品も是非ご覧ください。
八雲の活動の足跡や、八雲が捉えた文化や風習、
そして日本人のこころを著した作品をご堪能いただけます。
資料図書館は正門右手(グラウンドの方)側にあります。お隣はシェイクスピアホールです。
モノレールから来られる際は、Star Wayに案内の矢印もあるのでご参照ください。
再開の際には是非ご覧くださいね。
(明星ギャラリー学芸員・H)
※開館日、開館時間は図書館オリジナルサイトをご確認ください。
※開催中はページ替え、資料入れ替えを行います。
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