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企画展「小泉八雲」『日本―一つの解明』のお話

2020年9月26日   企画展「小泉八雲」

こんにちは、明星ギャラリー学芸員のHです。



今日9月26日は、八雲の没日であり、企画展「小泉八雲」の本来予定していた開催期間の最終日でした。

今回は、八雲の死後に出版され、事実上遺作となった本をご紹介します。



『日本-一つの解明』(1904年)表題ページ

八雲の日本研究の集大成とも言うべき本です。
もともと、エリザベス・ビスランドの依頼でアメリカのコーネル大学の連続講義用に用意した草稿でしたが、
中止となったため一冊の本にして出版することになりました。
執筆は相当大変だったようで、妻のセツさんの著作『思い出の記』によると、
「こんなに早く、こんなに大きな書物を書くことは容易ではありません。
手伝う人もなしに、これだけのことをするのは、自分ながら恐ろしいことです。」
と言っていたそうです。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲:思い出の記、父「八雲」を憶う、恒文社、1995年第二版、p.24)

 「上代における家族制度、氏族のあり方、諸階級が分離・派生して行った経路、
  宗教上の戒律から政治上の律令がわかれてきたすじみち、諸種の禁令の歴史、
  その禁令が風俗・習慣に及ぼした影響のあと、産業発達における基準、
  組合の歴史、それから、倫理と美学の歴史。
  ―まだそのほかたくさんのことがらが、
  まったくあいまい不明のままになっている現状である。」
(小泉八雲『日本―一つの試論』平井呈一訳、恒文社、1991年第二版、p.4)

八雲は、こうした日本の曖昧で不明だった問題を、
日本人とは異なる価値観や宗教観を持つ西洋人読者に
同情的に伝えることに注意を払いながら執筆しました。


カラーの口絵

またこの本は、後の太平洋戦争時にマッカーサーの秘書であるボナー・フェラーズが
日本人の心理を理解するために参照したと言われています。
彼は日本の戦後処理にあたり、象徴天皇制実現を目指した人物です。
この本が世に出ていなければ、
戦後の日本はまた違う道を辿っていたかもしれません。


扉、中扉には「神國」の文字が。
そのため、『日本』とは別に『神國』とも呼ばれることもあります。

 

さて、冒頭でも述べましたが本日は八雲の没日になります。
死ぬ少し前から時折発作が起こるようになりました。
亡くなる数日前には、庭の桜が返り咲き、飼っていた松虫が死にます。
亡くなる日の朝、珍しい世界へ旅した夢を見たと妻のセツさんに告げ、
学校へ行く長男の一雄さんに
「プレザント、ドリーム(pleasant dreams, 就寝前のあいさつ)」と
言って送り出したそうです。


八雲終焉の地旧居跡碑(筆者撮影)

八雲の葬儀は生前よく訪れていた円融寺(瘤寺)で仏式で行われ、
生前よく訪れていた雑司が谷(雑司ヶ谷霊園)に埋葬されました。


雑司ヶ谷霊園の八雲の墓(筆者撮影、中央が八雲の墓)

今尚人びとに読まれ続けている八雲の本や、研究されている八雲自身のこと、
今でも訪れることができる縁の地、それらに触れるきっかけとなれば幸いです。

(明星ギャラリー・H)

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、企画展『小泉八雲』については、
休止しております。
再開する際には、図書館オリジナルサイトにてお知らせします。

※展示品はページ替えを行っております。
時期により、本ブログにて紹介しているページと
異なるページを展示している場合があります。

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